History of Company
FEISグループの技術沿革-資料



1985年 アイ企画 日本初VAR事業開始

※ まだ 米国 informix 社が、リレーショナル・データベースシステムズ社という時代にソフトウェアVARを開始。当時はプログラム言語が無くテーブル構造だけでコマンドファイルで操作していましたが、アプリケーションの核になると判断。構造化された高品質アプリケーションの可能性に着目しました。

事業改革途中の事故により組織を解散。
お客様の支援により FEIS JAPAN として研究開発を継続。3年後にT.Ikai氏の出資によりEPO社設立。


                        
1988年 EPO社設立 日本初UNIXビジネスアプリケーション開発センター設立

外国人スタッフを含めたINFORMIX4GL専門の開発部隊を組織しメインフレームからオープンシステムへの移行を支援するシステム・インテグレーション事業を展開しました。米国ポートランドのシークエント社から並列処理コンピュータ購入。日本初のUNIXアプリケーション開発センターをスタートさせました。アスキー情報システムの技術顧問就任し、アスキー公式セミナーを主催。




1991年 Macintosh & UNIX 並列処理コンピュータによる世界初のGUIベースC/Sシステム開発

※ この当時にはまだC/S(クライアントサーバー)方式という言葉もなかった時代でした。米国にてメリルリンチでサン・マイクロシステムズ社のワークステーションにて X Window を利用した業務用システムの開発が始まったところでした。まだ米国においてもMAC&UNIXによるクライアント・サーバータイプのシステムは提供されていませんでした。




1992年 薬品メーカーF社のMAC&UNIXのコンビネーションのクライアントアプリケーションを開発。

※ この当時、オブジェクト指向プログラミングを実際にビジネスアプリの開発に活用するノウハウが蓄積されていなかったためMACをフロントエンドにVAXをバックエンドに使ったC/Sタイプのシステムを構築できる SI ベンダーは皆無でした。EPOが開発会社を取りまとめフロントエンド部分を開発。その後、PIT (Primitive Information Technology)ポリシーを確立し完全三階層構造のシステム化を進めました。





1994年 FEIS.INT社設立 RASCA構造完成

※  RASCA (Relational Application System Component Architecture)


※ 大手企業向けにApple社のMACとWINDOWSの混在したマルチプラットフォームで利用可能なクライアントサーバ(C/S)タイプの戦略情報システムを提供。国内初のハイブリッドグループウェアを開発。マルチメディアコンテンツ(ビデオデータや音楽データだけでなく、ワープロ、表計算ソフト等のオフィスデータまで)管理可能なビジネス版ナップスターとも言えるWEB対応の電子カタログシステム『GforcePRO』を発売。アップル社の技術者に『これはうちがが目指していた ”OPEN DOC” じゃないか』と言わしめました。

1994年 WIN-tranet (Wide-INtranet)対応システム完成
1995年 G-force@WEB完成(世界初エキストラネット対応電子カタログシステム)

第一回オラクルオープンワールド出店のSONYのプレゼンテーションシステムを企画立案し一括受注。 マルチメディアの世界とソニーのコンピュータ事業のロードマップのためのプレゼンテーションシステムを開発。内田洋行のIT部門であるウチダエスコのマルチメディア部門や独ライノタイプヘル社に対し技術支援を行なっていました。まだ技術的に見えにくいマルチメディアへの期待の中でマッキンゼー&カンパニーや千趣会、他、多数の企業向にマルチメディアセミナーを開催。
※ 当社で命名したWIN-Tranetがその後米国でエキストラネットと呼ばれるようになった。


 
1996年 SITEWARE技術完成(WEB TOP アプリケーション)

※ 多くのメーカーに対しブラウザだけで使用可能な業務用WEBTOPアプリケーションを提供し米国パワーソフト社の開発事例に掲載されました。WEB TOP Application とは、現在のクラウドアプリと同じもの。スタンドアロンタイプのアプリケーションをデスクトップアプリケーションと読んでいたのでWEB上に存在するアプリケーションということでこのように命名しました。米国市場においてもプロダクトは存在しておらず当時NEXT社のCEOであったジョブズがコンセプトのみ発表。

1997年 FEIS Interactive Communications社を設立

マルチメディアセミナーを通して知り合ったマッキンゼー&カンパニー のアソシエイトと共に、FEIS.INT社のコンサルティング部門としてFEIS.IRC社を設立。スルガ銀行のWEB事業戦略立案を担当しやスルガ銀行初のホームページ制作運用管理を引き受けました。
 
※ 海洋クラスタ都市構想に参加する長崎県平戸市の日本ヒーリング科学研究所の客員教授に就任。


1999年 iモード対応の画像ファイル管理システムまで含めたグループウェア『SITEWARE2000』を発表。

2000年 FEIS.COM社設立(クラウドアプリに特化したサービスを行うための会社)
      長瀬産業と事業提携

※ クラウド技術が認められ大和証券グループのベンチャーキャピタルであるNIFと長瀬産業(株)とIPOを目的としたFEIS.COMを設立。ブラウザだけで利用可能なアプリケーション構築技術(SITEWAREテクノロジー)によりモールダー向け生産管理システムの各種パッケージのASPサービスを開始。営業は長瀬産業が担当し10億円の売上を目標としてスタートしIPOを目指す。また、手帳型グループウェアであるナレッジノーツを開発し長瀬産業の基幹システムのクラウド化を担当し数多くのシステムを開発しました。サンヨー、長瀬産業の協力により2画面の液晶が利用可能なスマートフォンを制作。

※ 長瀬産業に対しクラウドアプリケーション構築技術(SITEWAREテクノロジー)を提供する。長瀬産業は、モールダー向け生産管理システムの各種パッケージのASPサービスを開始。基幹システムのクラウド化に協力しました。

2001年 JETRO主催の米国 『Broadband &Wireless Conference』 にスピーカーとして参加

 
2002年 家電メーカーS社、長瀬産業の協力により2画面の液晶が利用可能なスマートフォンのプロトタイプが完成。


 

2002年 SITEWARE技術についてビーイングの取材を受けました。JAVA言語もJAVAScriptも使用せず、プラグインモジュールも使わずWEBサーバはリードオンリー(書き込み禁止)の状態でサービスできるWEBアプリはJAVA全盛の米国で講演しても残念ながら理解されませんでした。